2020.12.06ブログ
完璧を求めていませんか?

目次
完璧を求めることによって、とんでもないことに?
エモーション・クララ代表の倉持英子こと、クララです。
今、多くの人たちをみていると、仕事で完璧をもとめようとする人たち、子育てで完璧を求めようとする人たちに出会います。この「完璧」が実は、大きな罠なんです。
実は「完璧を目指す!」のと「最善を尽くす!」というのは、とても似ているようで、実はこれが大きな違いになってきます。
「完璧を目指す」ということは、一つのミスも、小さなミスも許さない。となって、少しでもそぐわないと、その物事が始められなかったり、完璧と思うところまで停止状態だったり、小さなミスに対して、厳しくしたり、相手を批判したり、…とその完璧と思われる状態までいかないことに対して、怒りだったり、いろんな感情も出てきてしまいます。これがあまり、ポジティブではないことがほとんどです。そして更に、それができない自分への焦りだったり、人への怒りが沸いてきたりしてしまいます。
仕事で完璧を目指す人は、時に、それができないことで自信を無くしたり、それでうつになってしまったりする人もあります。また、そういう上司であれば、部下のちょっとのミスに対して、ひどく叱りつけ、部下がやる気をなくしてしまうこともあります。
また、完璧を目指すお母さんも最近、増えています。そういうお母さんに育てられた子供たちは、小さい頃は、そのお母さんの期待に応えようとしますが、だんだんそれがきつくなってきて、いつかそれに耐えられなくなってしまいます。
子どもに完璧を目指し過ぎるとどうなるか。
先日、ある保育園でこんな話を聞きました。
ある男の子が保育園でおでこをちょっと怪我して、お医者さんで縫ったそうです。それは、ほんの2,3ミリなのですが、それがその子の額に残ってしまう、とすごい剣幕で怒ってきたそうです。
聞くとその子のお母さんは、お子さんに完璧を求めてしまっているそうです。でもお子さんは、保育園では、動きが活発で、いろいろなところにも良くぶつかっているのだそうです。そんなお子さんの場合、よく家では良い子で、保育園や学校では家とはまったく違って、凄く活発だったり、人ともぶつかりあったりすることもあると良く聞きます。
しかし家では、静かで落ち着いているので、親は保育園や学校の様子を聞いても、信じられない。という親が実際に多いのです。親の前では、親の期待に応えようとして、良い子として演じてしまうのです。しかし、本来は子供が小さい頃から、なんでもきちんとして、というふうにはいかないのが普通です。子供の時は、自分の感情のコントロールきかなくて当たり前なんです。それができたら、それは良い子というより、どこかに感情のひずみがあるのだと思います。
話がそれてしまいましたが、最近そうしたお母さんのお話をいろいろ聞きます。そういう子がある時突然、自分の気持ちを大きく出し始めます。それは思春期からが多いようです。ひきこもりになってしまったり、自分の進路がわからなくなって、自分探しに一生懸命になり、なかなか仕事につけない人もいます。
実際には、完璧を求めると、不思議と世界が狭くなってしまうのです。それはそこだけに神経が集中してしまうので、他に目がいかなかくなってしまうのです。
でも「最善を尽くす」という気持ちでいると、余裕が生まれます。これが自分に対しても、人に対しても、違ってきます。このことは、決して自分を甘えさす。ということではありません。
「最善を尽くす」だと、どう違うか
では、「最善を尽くす」だとどう違うか。それは、最善を尽くして今やれる中で懸命にやろうとします。そしてポジティブに、どうしたら、もっと良くなれるか?と考えます。そしてそれに対しての結果に対しても、最善を尽くしたのだから、とそうできた自分や仲間といっしょだったら、その仲間に対しても、認めていきます。
ここが大きく違うところです。
しかも、その結果が、完璧を目指すより、最善を尽くした、というときの方が良い結果になることの方が、不思議にも多いんです。
これは、私が思うことですが、何をしても完璧ってないのだと思います。今日よりも、明日、そして未来の方が物もどんどん良いものができていきます。それは限りないのだと思います。でも、その中で今の自分の力で最善を尽くせるかどうかの方が、何かの完璧というより、その人にとっての大きな価値になるのではないか?と感じます。